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命を看取る

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生活の質を可能な限り高く保ち、犬や猫らしく暮らして最期を迎えられるように周りが努力する。
このことは、命を看取る上でにんげんと大きく違わないと、16年前に亡くなった猫のGちゃんの飼い主は言います。

1998年夏、当時5歳だったGちゃんは、日本獣医畜産大学の付属病院でリンパ腫と診断されました。ステージ4と、がんとしてはかなり進行した状態で、延命を目指す抗がん剤治療を受けることになりました。がんの確定診断の時に、飼い主は「いつか抗がん剤が効かなくなるから、安楽死も一つの選択肢として考えて置いてください」と主治医に告げられました。

飼い主は、病院や治療の選択・家での介護・経済面などを全て自分で責任を持ちペットを看取るのは始めての経験でした。幸いにも、Gちゃんのがんは抗がん剤に反応して小さくなり、1年半程度で容態が安定しました。飼い主は、この1年半はとても意味のある時間だったと話します。

まず、死にゆくことや安楽死について夫と話し合い、共に考えることができました。
通院中に、待合室で知り合った他の飼い主と親しくなり、共に支えあうことができるようにもなりました。

どんな時に愛する動物を安楽死させるべきか

どのような状態であれば、これ以上生きる事ができないのかを、飼い主が決めなければいけません。絶え間ない苦しみや、耐えられないほどの痛みがあり、それが酸素質でもモルヒネでも緩和できないなら、安楽死は妥当とも思えます。

では、歩けなくなった時や自分で食事や排泄ができなくなった時はどうでしょうか。尿カテーテルを入れ、栄養をチューブで流し込んで、床ずれができないように寝返りをさせながら、命の終わり待つべきでしょうか。
飼い主は、夫や自分自身に何度も問いかけ、主治医に安楽死の手順を質問しました。そして、飼い主は「猫らしく生きられなくなった時に安楽死をさせよう」と決断しました。

Gちゃんを夫の実家で貰い受けた時には、命を終わらせる判断をする責任の重さなど想像もしなかったと言います。しかし、この重い責任は動物の飼い主全てに生じるものだと飼い主は知ったのです。

1999年12月21日の朝、Gちゃんは突然あるけなくなりました。
全身が麻痺して、てんかん発作のような痙攣や嘔吐・幻覚が絶え間なく続くようになりました。体が硬直していたので、もし何かを食べたいとGちゃんが感じても、何も食べられる状態ではありませんでした。医師は、がんが脳に移転したと飼い主に告げました。

自分でトイレに行って砂をかけ、爪とぎをして、おもちゃで遊んでまわる・・・、これら猫らしい生活をGちゃんはおくれなくなってしまったのです。飼い主は、Gちゃんがこの状態で生きたいとは思っていないと感じたと言います。これは思い込みではないかと反論されるかもしれませんが、1年半の治療中、毎日向きあってきた飼い主が感じたGちゃんの望みでした。

24日の夕方、Gちゃんが飼い主に抱かれて安楽死の処置を受けました。
医師がGちゃんの後ろ足に針を刺し、致死量の麻酔薬を投与しました。

最期はとても静かでした。

Gちゃんは車で家に連れてくる時も、ずっと静脈剤が効いていて眠っていました。
薬が体に入って数秒で、Gちゃんの目が閉じました。
Gちゃんは、6歳半の生を飼い主に見守られながらこの世を去りました。

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